規模が大きく、演出もすばらしいと評判よ。行くでしょ?」と言う。
今年は、詩人のアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表して
100年目だそう。それにちなんだ大がかりなものらしい。

これが広告用ヴィジュアル。おどろおどろしいモンスター、怪鳥?
会場の入り口は、これ。「地獄の門」

1920年代にシュルレアリストたちが集まったキャバレーの入り口の再現。
これをくぐると通路になっていて、両側にモノクロの人物写真の展示。
当時活躍したシュルレアリストたちの顔写真が続く。まさにプロローグ。
廊下の先は、円形の部屋で、壁のスクリーンに当時の写真や文献をグラフィックにした映像。
聞こえてくるのは、AIで再現したブルトンの声による『シュルレアリスム宣言』。
シュルレアリスムとは、現実(レアリスム)を超えた(シュル)ものという意味。

円形の部屋の扉を開けると最初の部屋。目に飛び込んでくるのは正面の2枚の絵。
デ・キリコの「アポリネールの肖像」と「子どもの脳」


「アポリネールの肖像」:キリコアはアポリネールはと親しく画商を紹介してもらった。
ギリシア出身なので、アポリネールを古代ギリシア彫刻に見立ててる。
「子どもの脳」:1916年、バスに乗っていたブレトンは、ポール・ギヨーム画廊に
飾られていたこの絵に惹きつけられ、すぐバスを降り、絵を購入し、生涯手もとに
置いていた。この絵は、ルイ・アラゴンの解釈によると、男の閉じた目が内面世界の
シンボルで、現実社会から変容へのプロセスである。と絵の横に解説があった。
(絵について調べた:主題はエディプスコンプレックス。男はキリコの父親、本は母親、
本には細い紐がはさまれ、、)
日本でシュルレアリスムを牽引したのは美術評論家の滝口修三である。
彼の「無題」という地味な色の小さい作品もあった。
展示室は13あり、テーマごとに分かれているが、テーマの共通性はナチュラリスム。
自然との共生で体の一部が木に変形するなど、人間と人類以外の自然が一体化する。
まったく関係性のないものが融合することも多々あり、「変容」の着想が面白い。
ピカソの愛人で「泣く女」のモデルであった写真家ドラ・マールの作品があった。

”29 rue d'astong” 1936年 がタイトル。人物の顔が変容。建物もうねり、、。
「変容」作品の展示は絵画だけでなく、製品や家具もあった。


電話の受話器が伊勢海老!
狼テーブル,見覚えあり!国立新美術館の「パリの異邦人」展で見たのだった。
作者はヴィクトル・ブローネル。ルーマニア人。
ジャコメッティの白い彫刻「テーブル」(Table, 1933年)

マグリットの暖炉の火は、煙をはく蒸気機関車

13の部屋は、エスカルゴ状に連なり、各部屋を順に見ていくしくみ。
テーマ「夢」
ルドン「目を閉じて」1890年 オルセー美術館所蔵の作品。穏やかな表情から
夢も優しい夢と推測できる。

一方、ダリの「夢」1931年 は白い無精ひげのおじさんの顔が怖い。
風になびく髪の毛はたてがみのように見えてしまうし、鋳造した彫刻のような光りと立体感、
重々しさに圧倒される。

ダリのあと、ミロの「昼寝」(シエスタ)があったので、かわいくてほっとする。(写真なし)
いろいろなテーマで展示室がまだまだ続くので、残りは次回の記事に。
この記事へのコメント
ukkari-k(うりくま)
今見ても衝撃的な作品が多く、滅茶苦茶面白そうな展覧会ですね。
yk2
ハナシは変わりますが、まだ子どもだった頃に、もちろんシュルレアリスムだなんて言葉があることすら全く知らない時期に読んだカフカの『変身』。でも、読み進めつつも僕には”虫”の具体的な姿が最後まで全く想像出来なかったんです。だけど、受話器がエビに変容するくらいビジュアル的に解りやすかったら、あの小説に描かれる、有り得ないだろう超現実の世界ももっとイメージしやすかったかもしれないのにな~なんてことを想像して、ひとりモニターの前でイセエビ!に吹き出していました。オマールじゃないんだ~!って(笑)。
よしあきギャラリー
これここに極まれり、といった感じです。
YAP
コザック
ジャコメッティは細長くて黒いイメージだったので白いのは新鮮です☆
taekoさんのお友達のそっけないけど親密さをうかがえるセリフは何げに毎回楽しみにしてるんですよ~(^^)
続きも楽しみにしてます~☆
taeko
1925年、ゴッホやモネを目新しいと松方幸次郎がコレクションに買った直後。だから、ブレトンが目をつけたキリコの作品は、当時は皆が、「なに、これ?」だったでしょうね。
<今見ても衝撃的な作品が多く、滅茶苦茶面白そうな展覧会ですね。>
→ まさにそうで、絵を読み解くのに時間がかかり、点数も多いので、
見るのに2時間以上、かかりました。
taeko
<宣言より30年も前の、年代的にもオルセーに収蔵されているルドンの『目を閉じて』がシュルレアリスム展に紛れている>
→ この小さな絵が壁面に一つだけポツンと置かれていて、私も違和感を感じたけれど、たくさん展示されている「夢」を題材としたシュルレアリスムの絵と対比させるためかなと解釈。ルドンは、初期、象徴主義。「目を閉じて」はまさにそう。その後、年月を経て、夢がどんどん追求され、仏教も加わったり、yk2さんが述べてらっしゃるような過程を経て、シュルレアリスムの先駆者と言われるようになったんですものね。私が以前オルセーで見たルドンの回顧展はサブタイトルが「夢の王子」、木炭画の目玉から始まって、一生、夢を追求した人です。
<カフカの『変身』>
→ ビジュアルな表現は難しいですよね。ず~っと前に、宮本亜門が演出、主演のカフカの変身の戯曲を見たのですが、壁にへばりついて虫のような動きをしても、サイズに問題が、、(あんな大きな虫、有り得ない)、荒唐無稽になってしまうんですよね。小学生でカフカを読む、なんておませさん(笑)
<受話器がエビ>&<オマールじゃないんだ~!>
→ ほんとはオマール。伊勢海老との区別は爪。オマールは爪が大きい。
でも、オマールって日本人にはピント来ない。伊勢海老のほうがおめでたい感満載で楽しい。これを見たとたん、トーハクで見た自在置物の伊勢海老を思い出しました。リアルだったなぁ。
taeko
見たとたん、「ありえない」と笑うような絵や「どうしてそうなるの?」と謎解きをするような絵がたくさんあって、面白かったです。これだけたくさん展示できるのは、ポンピドゥだからこそです。
taeko
<現代美術って、なかなか理解が難しい作品も多い、、>
→ このコメントを読んだとたん、そうか、シュルレアリスムは100年も経ってるから、もはや現代美術でなく、現実を超えたありえないもの、というジャンルになっていると気づきました。現代というより近代になるのかしら。ジャンルはともかく、見て歩いて面白い! まさか、というものがいくつもあるんですもの。発想のユニークさに感心したり、楽しかったです。企画展は普段1時間くらいで見終わるのに、これは2時間かかりました。
taeko
<ジャコメッティは細長くて黒いイメージだったので白いのは新鮮です>
→ 私もそうでした。白い大理石が新鮮で神々しくさえ見えました。
顔もちょっとジャコメッティらしくない、でも魅力的と大写しにしたので、全体像が見えないけれど、実はこのテーブル、とっても足が長いのです。それでジャコメッティらしさが現われてます。シュルレアリスムだから、手、足が顔や胴体とばらばらに配置されてます。
Inatimy
右側からフレームに入ってきた人との横顔がなんだかマッチしてて。
気に入ったのは「狼テーブル」。テーブルの脚の1つ(手前右)が途中で曲がってて、
本当にオオカミの脚みたいに。
ジャコメッティの白い彫刻「テーブル」は、パッと見、腕相撲?って。
カフカの「変身」は中学の読書感想文の課題図書でした。当時読んだ時、
虫っていうのは勝手にゴキブリだと思い込んでました^^;。
engrid
皆様のコメントも、読ませていただいて、興味深かったです。
taeko
狼の脚、腕相撲の感想にも、なるほどね~です。
読書感想文の本は覚えてますよね。ゴキブリ、、確かに皆に嫌がられるから、、私はカブトムシかと。
taeko
<時を忘れて、見入りそうです、> → 実際、私もそうでした。
<これはパス> → おどろどろしいのもあるので、私もいくつかはパスでした。ここに展示されている絵の人たちは、色彩感覚もいいし、多分デッサンも上手い。そこに遊び心、探求心が加わって絵が冴える。アイディアが良くても絵そのものが上手くないと、って思いました。
私も他のかたのサイトで、コメントが面白いと熱心に読みます。
てんてん
新しいアドレスをお知らせします。
よろしくお願いいたします。
https://tenten0001.seesaa.net/
いっぷく
gillman
やっとここに引っ越してきました宜しくお願いします。
おと
taeko
<デ・キリコの作品解説において、絵画の背景にある思想や解釈について深く考察されている点が理解を助けていただきました。> → ありがとうございます。昨年夏、東京都美術館で「デ・キリコ展」を見た記憶が残っているので、デ・キリコに親しみを感じます。「日常の奥に潜む非日常」を描いていますが、空想を交えてるので、シュルレアリスム作品が生まれるのでしょうね、
taeko
この前の旅はドイツでしたね。フランスにいらっしゃるときがあったら、
ポンピドゥも面白いと思います。現代美術は苦手ですが、100年前のシュルレアリスムなら面白いので、今の現代美術も100年後には?どうなんでしょう。
taeko
ドラ・マール、私もDora Maarと書いてあったので、「ここでお目にかかるとは」と驚きでした。ピカソに泣かされてただけでなく、一目おかれる写真家だったのですね。絵のタイトルの番地にスタジオを構えていたので、この番地名がついた写真が他にもありました。<うねった感じ、けっこう好きです。> → これはピカソの影響かなと思いました。こうも見える、という実験かしら。
ドラマールの写真は他に数枚あり、チェス台の上にチェスの駒があり、奥にも駒が、でなく、馬に乗った騎士の小さな銅像が駒代わりに乗っているという面白い発想の写真もありました。