
昨年末のパリ滞在中、リュクサンブール美術館で開催されていた
「ガートルードスタインとパブロ・ピカソ」展を見に行った。
「ガートルードスタインとパブロ・ピカソ」展を見に行った。
ガートルードスタインは、アメリカ人女性で作家。美術コレクター。
ピカソの支援者で、彼を世に出した人。
私は学生時代に、アメリカ文学の研究者・翻訳者のTN先生の読書会で
「The Autobiography of Alice B. Toklas」アリス・B.トクラスの自伝
を少し読み、挫折したが、表紙のピカソによる肖像画の鋭い目つきは
個性的だった。

この絵は、メトロポリタン美術館にあり、そのサイトの解説によると、
ピカソは、ポーズをとってもらって絵を制作、顔をマスクのように
描き未完成のままスペインへ旅行に行き、古代イベリア彫刻に感銘を
受け、それに似たアーモンド型の眼を描き加えた。(1906年)
その時、アリスは30代だったのに、50代のように見える絵だったので、
文句を言うと、「今にそうなるさ」とピカソは答えたそうだ。
この古代イベリア彫刻からの影響は、1年後1907年「アヴィニヨンの娘たち」
の右2人の顔にはっきり見られ、ピカソのキュビズムの始まりである。
ピカソの支援者で、彼を世に出した人。
私は学生時代に、アメリカ文学の研究者・翻訳者のTN先生の読書会で
「The Autobiography of Alice B. Toklas」アリス・B.トクラスの自伝
を少し読み、挫折したが、表紙のピカソによる肖像画の鋭い目つきは
個性的だった。

この絵は、メトロポリタン美術館にあり、そのサイトの解説によると、
ピカソは、ポーズをとってもらって絵を制作、顔をマスクのように
描き未完成のままスペインへ旅行に行き、古代イベリア彫刻に感銘を
受け、それに似たアーモンド型の眼を描き加えた。(1906年)
その時、アリスは30代だったのに、50代のように見える絵だったので、
文句を言うと、「今にそうなるさ」とピカソは答えたそうだ。
この古代イベリア彫刻からの影響は、1年後1907年「アヴィニヨンの娘たち」
の右2人の顔にはっきり見られ、ピカソのキュビズムの始まりである。
![[ー(長音記号1)]](https://blog.seesaa.jp/images_e/165.gif)
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展覧会の会場を入ると、すぐに目に留まるのは、ピカソでなくマティス。
この明るい色遣いは、まさにマティス。テーブルクロスの花模様まで主役。
「オレンジのある静物」 1913年

次は、左:セザンヌ「リンゴとビスケット」
右:ブラック「5本のバナナと2つの洋梨」1908年
下:ピカソ 紙で作った「りんご」
ピカソの果物表現は、紙を丸めたような立体で。

1907年「アヴィニヨンの娘たち」以降、キュビズムに突入したピカソ。
左:ピカソ「男の頭」1909年
右:「手を組んだ女」アヴィニヨンの娘たちの習作1907年
左:ピカソ「男の頭」1909年
右:「手を組んだ女」アヴィニヨンの娘たちの習作1907年


ブラック:サンドニの石切り場の風景 1909年
真ん中にシンボルツリーが1本。ブラックのキュビズムは端正でわかりやすい。

真ん中にシンボルツリーが1本。ブラックのキュビズムは端正でわかりやすい。

ファン・グリス「グラス、新聞、ワインの瓶」1913年


1912年、ピカソは紙でギターを作成。それをもとに立体を組み合わせて
作品を考えた。従来の分析的キュビズムより前進した合成キュビズムである。
ピカソ「暖炉の前の男」 1916年
この頃になると形が複雑に混じり、見てもタイトルと結びつかない。
この絵は、お土産の栞に使われていた。

作品を考えた。従来の分析的キュビズムより前進した合成キュビズムである。

ピカソ「暖炉の前の男」 1916年
この頃になると形が複雑に混じり、見てもタイトルと結びつかない。
この絵は、お土産の栞に使われていた。

![[ー(長音記号1)]](https://blog.seesaa.jp/images_e/165.gif)
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展覧会のタイトルが、ピカソという割には、ピカソの作品が少ない。
こういう時代にピカソは、キュビズムを推し進めていったのだという展示
なのだろう。
ガートルード・スタインと兄のレオ・スタインは資産家だったので、
リュクサンブール公園の近く「フルリュス通り」27番地のアパルトマン
で、週末、サロンを開催、パリの著名な文学者、芸術家が集まった。
ガートルードは当時、無名のマティスとピカソを応援し作品を買っていた。
スペイン出身のピカソとは意気投合。肖像画を依頼し、異邦人どうし、
達者でないフランス語で話し込み、新しい芸術のスタイルを追求していた。
ガートルードは、レズビアンで、アリス・B.トクラスと一緒に暮らし、
何処へ行くにも一緒だった。著書「アリス・B.トクラスの自伝」は、アリス
から聞いた自伝を心理学を基にした「意識の流れ」を取り入れた手法で書き、
新世紀(20世紀)の精神を体現しようとした。
![[ー(長音記号1)]](https://blog.seesaa.jp/images_e/165.gif)
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ガートルードは、本国、アメリカの20世紀半ばのアートにも大きな影響を与えた。
前衛(現代音楽)の作曲家ジョン・ケイジの曲が流れていた。
そして、ジャスパー・ジョーンズの「旗」

アンディ・ウォホール「20世紀のユダヤ人10人の肖像」1980年
上の段、左から2番目がガートルード・スタイン、
下の段、一番左が作曲家ガーシュウィン

ロバート・ラウシェンバーグ「Front Roll」1964年
ポンピドーセンターで展覧会を見たけれど、何でも貼り付けて、、意味不明
で、どの作品もわからなかったが、これは知ってる絵があるので面白い。
青い写真の左一番上は、フェルメールの水差しを持つ女、右はレンブラント自画像。
2段目左がピカソが描いたガートルード・スタイン
3段目右がアングルのグランド・オダリスク
ポンピドーセンターで展覧会を見たけれど、何でも貼り付けて、、意味不明
で、どの作品もわからなかったが、これは知ってる絵があるので面白い。
青い写真の左一番上は、フェルメールの水差しを持つ女、右はレンブラント自画像。
2段目左がピカソが描いたガートルード・スタイン
3段目右がアングルのグランド・オダリスク

ブルース・ナウマン 「Lip Sync」1969年
メディアを使った作品が多いブルース・ナウマン。
ロボット型だけど、テレビ? 蓄音機? ピカピカ光るので、会場で注目されていた。

メディアを使った作品が多いブルース・ナウマン。
ロボット型だけど、テレビ? 蓄音機? ピカピカ光るので、会場で注目されていた。

最後の作品は、同じくブルース・ナウマンの
「life death love hate plseaure pain 」1983年
多重色のグラフィック作品。ネオンで光るものもあった。

反対語を組み合わせている。これはガートルードの詩の影響であろう。
ガートルード・スタインの詩で有名なものは、(抜粋)
A rose is a rose is a rose is a rose.
「life death love hate plseaure pain 」1983年
多重色のグラフィック作品。ネオンで光るものもあった。

反対語を組み合わせている。これはガートルードの詩の影響であろう。
ガートルード・スタインの詩で有名なものは、(抜粋)
A rose is a rose is a rose is a rose.
薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である。
これは確固たる"アイデンティティ"の主張を意味している。
ピカソとガートルード・スタイン、2人は文学、絵画と分野は違っても20世紀に
残る新しい潮流を示したとわかる展覧会だった。とはいえ、ガートルード
中心だったので、昔、ついていけなかった本の作者の偉大さについて知ることが
できて、うれしかった。
この記事へのコメント
よしあき・ギャラリー
TaekoLovesParis
Inatimy
フルリュス通り27番地・・・昔、リュクサンブール公園に行くのにフルリュス通りを歩きましたが、27番地は気づかなかったです^^;。Googleマップで見てたら壁にガートルードスタインの名の入った碑のプレートがありました。この通りがリュクサンブール公園に突き当たるあたりに本屋さんがあって、そこでアンリ・リヴィエールの《建築中のエッフェル塔、トロカデロからの眺め》を表紙に使った冊子を見たことが。
ブルース・ナウマンの作品、オランダのKröller-Müller Museum クレラー・ミュラー・ミュージアムで、"Window or Wall Sign"「窓あるいは看板」1967を見たことがあります。ミュージアムの図録の表紙にもなってた作品で印象的でした。
今回の記事の中の作品で部屋に飾るなら、ブラックの「5本のバナナと2つの洋梨」がいいな。バナナ、美味しそうだし^^。
TaekoLovesParis
会場で絵を見て、タイトルを見て、「なるほど木の下に3人いるわ」と納得したので、タイトルの写真を撮らなったのですが、けろっと忘れてしまいました。ピカソは、作品の点数が多いので、探すのが大変。で、あきらめましたが、気になってたので、わかってほっとしました。
フルリュス通り27番地、今度、アイホンのGoogleMapで探しながら行ってみます。本屋さんも見てみます。
ブルース・ナウマンの"Window or Wall Sign"、Kröller-Müller Museum クレラー・ミュラー・ミュージアムのサイトで見てみました。はっきりした色合いで分かりやすいですね。子供の頃にあったネオンサインの広告看板を思い出します。ブルース・ナウマンは人気で、昨年夏の「テート美術館展」でも、木の板が2枚平行に並んでいるその隙間を、順番に一人ずつ覗くと、天井から電気、奥が鏡になってる部屋が見える体験型の作品「銀と白色光の廊下」が展示されてました。撮影禁止だったので、ブログ記事に載せませんでした。
先がとがったバナナって、ユニークですよね。
おと
ガーシュインって、ユダヤ人だったのか~って思って調べていると38歳で亡くなっていたことにも驚きました。1907年「アヴィニヨンの娘たち」を2022年の年末にマラガのピカソ美術館で見て写真を撮っていて、なるほど、このアーモンドの目が、古代イベリア彫刻からの影響なのか~と、写真をもう一度見直しています。←ニューヨークMoMAの門外不出とあるので、マラガで撮った写真は、何だったのかな、、コピー??。。。
TaekoLovesParis
「アヴィニヨンの娘たち」の右の2人、写真で拡大してみると、原始彫刻、古代イベリア彫刻のお面をかぶってるみたいでしょ。門外不出なんですね。ピカソは作品数が多く、同じタイトルのものもあるけれど、習作で、サイズ違いかしら?謎ですね。