モンソー公園は、凱旋門から徒歩15分くらいの距離にある美しい公園。
高級住宅街の一角にあり、もともとはオルレアン家の所有だったのをパリ市が
買い取った。
金で装飾された立派な門。

高級住宅街の一角にあり、もともとはオルレアン家の所有だったのをパリ市が
買い取った。
金で装飾された立派な門。

中に入ると、広い! 緑一色の奥に白い彫像が見える。


モネは、この公園をとても気に入り、「モンソー公園」というタイトルの絵を6枚
残している。カイユボットの作品にも「モンソー公園」がある。

モネの「モンソー公園」1876年 泉屋博古館
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モネ「モンソー公園にて」1872年 ボストン美術館

こういうふうに道がカーブして正面に建物が見える場所を探したけれど、
見つからない。150年も経っているので、木々が生い茂り、周辺のグレーの
屋根の建物は見えにくい。
これは、カイユボット「モンソー公園」1877年

深緑色のベンチは今も同じデザインのものが、使われている。
(人がすわっていたので、写真が撮れなかった)
奥へ、奥へと歩いていくと、突然、ローマ風の列柱の遺跡が現れてびっくり。
見つからない。150年も経っているので、木々が生い茂り、周辺のグレーの
屋根の建物は見えにくい。
これは、カイユボット「モンソー公園」1877年

深緑色のベンチは今も同じデザインのものが、使われている。
(人がすわっていたので、写真が撮れなかった)
奥へ、奥へと歩いていくと、突然、ローマ風の列柱の遺跡が現れてびっくり。

神秘的な池のほとりに静かに立つ列柱。何千年もここにこうやって、、と胸が
熱くなる。奥なので、人影もなく夏の日差しに照らされた廃墟。
ローマ人はここまで来たのだろうか。
熱くなる。奥なので、人影もなく夏の日差しに照らされた廃墟。
ローマ人はここまで来たのだろうか。

あとで調べて判明。これは、1789年に破壊されたサンドニ大聖堂の
コリント式列柱を移築したものだった。
他にも、旧パリ市庁舎のルネサンス様式のアーケード、東京都から贈られた
寛永寺の石灯籠など移築された遺跡が随所に見られ、歩いていて楽しかった。
コリント式列柱を移築したものだった。
他にも、旧パリ市庁舎のルネサンス様式のアーケード、東京都から贈られた
寛永寺の石灯籠など移築された遺跡が随所に見られ、歩いていて楽しかった。


夏だったが、手入れされたバラがまだ咲いていた。奥にコリント式列柱が
見える。
見える。

モネの絵に出てくる場所は特定できなかったが、公園が持つ貴族的で、
おしゃれな雰囲気は、今も残っていた。
おしゃれな雰囲気は、今も残っていた。
この記事へのコメント
angie17
大きな門も素敵ですね。
ナツパパ
パリの懐の深さですねえ。
実際の風景も良いし、モネの絵も魅力にあふれてますね。
yk2
Inatimy
その時、石灯籠、探したけど分からず・・・なんかピラミッドみたいなのがあったのが不思議でした。
実は、この公園の近くの歯医者さんに通ってたんですよ。
TaekoLovesParis
▲angieさん、門が豪華ですよね。怖気づいて、入っていいのかしら、とためらいましたが、何回も来てる友達が慣れたようすで、入るので、それに続きました。中の作られた美しさは造園技術の粋。やっぱりパリはいいなと思いました。
▲ナツパパさん、コンコルド広場から凱旋門までが、シャンゼリゼ通りで賑やかですが、凱旋門の先は、急に古くて立派な建物がならびます。元貴族の館で、今は外国の大使館が多い場所です。街の真ん中にこんなに広くて緑が多い公園があるのは、素晴らしいですよね。今はモネの時代と違って、散歩の人のほかにジョギングの人もちらほらいました。
▲yk2さん、オルレアン公は、王位につきたかったので、アントワネット&ルイ16世を陥れる策略をめぐらしたのに、結局、自分もフランス革命で処刑されてしまう。当時、オルレアン家の資産はフランス一だったそうです、だって、オルレアン公国は、ロワール流域のオルレアンからシャルトル、、、フランス公国の中で最大。アメリカのニューオリンズまで領土だったんですもの。
私もベルばらは読んでないのですが、ツヴァイクの「マリー・アントワネット」は読みました。宝塚の公演を父に付き合って2度見て、本にはない華やかさに惹かれ、ミュージカルも見たのですが、これはストーリーが改変されていてピンときませんでした。ソフィア・コッポラの映画もあったわね。
モネの絵に描かれた公園での人々の様子を見てると、散歩が優雅な遊びだったんですね。綺麗に整備された公園は今も優雅さを残してました。
▲Inatimyさん、異国小路1に、モンソー公園があったのを思い出し、もう一度、読みました。リンクをつけさせていただこうかとも思ったのですが、メリーゴーランドがあったかどうか覚えてなかったので、やめました。公園に入ってすぐの左側が、子供ゾーンでカラフルな滑り台があったのですが、モネの絵の場所ではないから、と立ち寄りませんでした。
石灯籠、ひとつだけぽつんとありました。寛永寺の石灯籠は、石畳の通路の両側にずらっと並んでいるから、雰囲気があるけれど、ひとつっだけは寂しそうでした。ひっそり佇むには木の陰になる場所の方が、よかったかも。
Inatimyさんの記事の文末に「私を待ってる人がいる」は、歯医者さんだったんですね。なぁんだ(笑)
engrid
おと
TaekoLovesParis
▲engridさん、よくわかってくださって、うれしいです。雰囲気は残ってるし、わずかに見える隣の建物の屋根も同じようなのですが、ここ!という決め手がなかったのです。そうですよね。150年の年月が過ぎてるんですもの。
モネの時代には無かった移築されたギリシア風の列柱が、廃墟のように出現したのを見た時は、興奮しました。ここに、ローマ人が来てた?と勘違い。
▲おとさん、夏のパリの記事、ピカソ美術館とカルナヴァレ美術館でしたね。
カルナヴァレは大昔に行ったきりなので、友達と「近々、また行きましょう」と言ってたとこです。
絵に描かれた場所は、ゴッホの「オーヴェルの教会」へ行ったとき、絵と全く同じだったので感動。モネの絵によく出てくるノルマンディ・エトルタ海岸の奇妙な形の岩もその通りでした。以来、絵に描かれた場所へ行ってみようかなと思うようになりました。
yk2
ジャズ好きを自負していながら、ジャズ誕生の聖地と云われる街の、その地名の由来をこれまで全く意識していませんでした(汗)。お恥ずかしい限りです・・・(^^;。
TaekoLovesParis