
この映画は、ロダン没後100年を記念して制作されたもので、
弟子カミーユ・クローデルと過ごした時期のロダンの話である。
2人の愛の物語というより、その時代のロダンについて描いている。
弟子カミーユ・クローデルと過ごした時期のロダンの話である。
2人の愛の物語というより、その時代のロダンについて描いている。
ロダンは40歳を過ぎ、「青年時代」を皮切りに有名彫刻家として注目され、
大きな工房を持ち、弟子も数名いる。国からの注文で、ダンテの神曲をモチーフ
にした「地獄の門」を制作している。弟子たちに「地獄だから、炎をふやすべきか?」
とか「パオロとフランチェスカはこの位置でいいだろうか?」など、相談しながら
進めていく。彫刻は作品が大きいので、工房は倉庫のように天井が高く広い。
大きな工房を持ち、弟子も数名いる。国からの注文で、ダンテの神曲をモチーフ
にした「地獄の門」を制作している。弟子たちに「地獄だから、炎をふやすべきか?」
とか「パオロとフランチェスカはこの位置でいいだろうか?」など、相談しながら
進めていく。彫刻は作品が大きいので、工房は倉庫のように天井が高く広い。

作品の頭を切り落とし、「よくできたトルソー(人体)は頭がなくても感情を表す」
と弟子たちに説明している場面。
と弟子たちに説明している場面。
文芸作家協会から、バルザックの記念像を依頼されるが、バルザックは彫像のために
ポーズをとるのは嫌だ。家で会談中の自分を観察するのはOkとの返事。彫刻は立体なので、
会談中の彼をあらゆる方向から観察してデッサンをし、それを元に制作を始める。
制作中のロダンの横で、アドヴァイスをするカミーユは最近弟子入りした19才の女性。
ロダンは自分にない素晴らしい感性を持っているカミーユの意見を尊重している。

2人はお互いに惹かれ合い恋人どうしとなるが、ロダンには昔から内縁関係にある
ローズと子供がいた。カミーユから「結婚して」と言われても優柔不断のロダン。
カミーユにはロダンにない感性と才能があり、美人で純真なお嬢様。放したくない。
でも、長年連れ添たたローズを捨てる勇気もない。カミーユが文句を言うと、
「我々の愛を嫉妬で汚すな」。。うまいセリフ。
ローズと子供がいた。カミーユから「結婚して」と言われても優柔不断のロダン。
カミーユにはロダンにない感性と才能があり、美人で純真なお嬢様。放したくない。
でも、長年連れ添たたローズを捨てる勇気もない。カミーユが文句を言うと、
「我々の愛を嫉妬で汚すな」。。うまいセリフ。
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ローズが子供を認知してほしいと言うと、「不出来な作品に自分の署名を入れる作家が
いるか」と暴言。かと思うと、「昔は楽しかったね」と思い出話をローズとしたり、、。
映画は、3人の関係をどろどろ描くのではなく、さらりとロダンってこんな男、と
事実の羅列で見せる。モデルに来た女性たちともすぐ関係を持ってしまうロダン。
でも、だらしない身勝手な男と思えないのがロダンの魅力なのだろう。
いるか」と暴言。かと思うと、「昔は楽しかったね」と思い出話をローズとしたり、、。
映画は、3人の関係をどろどろ描くのではなく、さらりとロダンってこんな男、と
事実の羅列で見せる。モデルに来た女性たちともすぐ関係を持ってしまうロダン。
でも、だらしない身勝手な男と思えないのがロダンの魅力なのだろう。

取り組んでいたバルザックの全身像は、顔の部分制作の後、身体部分のために
同じ故郷の人なら骨格が似てるはずと、モデルに選んで制作。しかし裸のまま
ではまずいので、部屋着を着せ完成させた。
完成後、館の前に置かれた像。夕方の柔らかい光の中に浮かぶ姿が美しい。
「月の出始めの光のもとが一番美しい」と、作品の出来に満足するロダンチーム。

その後、ローズが病気になり、看病のため、そちらへ行くと聞き、カミーユは
ロダンのアトリエを去る。
3年後、ロダンのもとに画廊主・ブロがやって来て、「カミーユが精神に異常を
きたし、『作品をロダンに盗作された』とあなたを激しく非難している。作品が
売れないので金銭的にも困窮している」と告げると、ロダンは
「お金は私が援助する。サロンの出品作は私のをひとつ下げて、代わりに
カミーユのを入れてくれ」と頼む。
きたし、『作品をロダンに盗作された』とあなたを激しく非難している。作品が
売れないので金銭的にも困窮している」と告げると、ロダンは
「お金は私が援助する。サロンの出品作は私のをひとつ下げて、代わりに
カミーユのを入れてくれ」と頼む。
画廊主・ブロとは売れない時代からの付き合い。同じくサロン落選組のセザンヌ、
モネを一緒に自宅に招いて、「今にきみたちの時代が来る」と励ましてくれた。
ブロ画廊で開催された「クローデルとピサロ展」を昔を偲びながら、熱い眼差しで
見つめるロダンの姿に胸がいっぱいになった。
モネを一緒に自宅に招いて、「今にきみたちの時代が来る」と励ましてくれた。
ブロ画廊で開催された「クローデルとピサロ展」を昔を偲びながら、熱い眼差しで
見つめるロダンの姿に胸がいっぱいになった。
監督・脚本 ジャック・ドワイヨン
ロダン… ヴァンサン・ランドン
カミーユ …イジア・イジュラン
ロダン… ヴァンサン・ランドン
カミーユ …イジア・イジュラン
この記事へのコメント
coco030705
カミーユ・クローデル展は、かなり前に大阪で開催しておりました。いい展覧会だったと記憶しています。
ロダンとは、師弟関係であり、恋人同士でもあったのはなるほどと思います。
内縁の妻と娘がいたら、容易に別れられない?この時代だと、ロダンの援助がなければ、女子供は生きていくのが難しかったのでしょうね。
ロダンは悪い男なんでしょうか。女性が寄ってくるような魅力があったと想像します。
カミーユはロダンとの関係に悩んで心を病んでしまったのかしら。きっと繊細な人だったのでしょう。「ロダンが一番愛してるのは、私よ!」と思って、生きていけなかったのかしら。才能があったのに、残念ですね。
yk2
ポンポンやブールデルらの弟子は当然として、いろんな人物の名前がサラッと数多く出てくるので、おお、この人がここでロダンと繋がるんだ~と云う見方をすると、フランス近代美術や文学のお勉強になりますね。台詞だけで本編には登場しないけど、ロダンがモネの『ルーアン大聖堂』を眺め賛美したそのすぐ後にモネとセザンヌと囲む食卓に、後からクレマンソーもやって来るよ、なんてシーンが有ったりして。
ロダンのあまりに身勝手な恋愛観に関しては、まぁ、芸術家だからなぁ~って気もしますが、おぢさん少しモテ過ぎでしょ!って、ちょっとジェラシーも感じます(笑)。
TaekoLovesParis
ロダンは外交下手、話下手だったけれど、彫刻の話には饒舌で、大勢いる弟子を大切にしていました。情熱と天才オーラがあり魅力的だったのでしょう。いくらカミーユが「ロダンが一番愛してるのは、私よ!」と思っていても、ロダンが、ローズのもとに行ってしばらく帰ってこなかったら、不安になり自信も揺らいで来るでしょう。ロダンは何かとはぐらかす人。カミーユとローズ、2人を愛していて、どちらかを選ぶことができなかったと映画を見てると伝わってきます。
1988年の「カミーユ・クローデル」という映画はイザベル・アジャーニとジェラール・ド・パルデュー主演でいろいろ賞をもらい評判になりました。合わせてご覧になると面白いかもしれません。
coco030705
なるほど、二人の人を愛してしまうと選べないということもあるかもしれませんね。
この作品とイザベル・アジャーニの「カミーユ・クローデル」は、ぜひ観たいので探してみますね。ご紹介ありがとうございました。
TaekoLovesParis
TaekoLovesParis
<モネとセザンヌと囲む食卓>→ 画商さんの自宅ですよね。瀟洒なお宅。
ロダンにセザンヌを紹介しながら、「きみたち2人は共通点がある。サロンに2回落選」まだ2人共売れない時代だったんですね。ここで、「クレマンソーが来る」っていうセリフが入るので、モネはここでクレマンソーに作品の良さをわかってもらえたのかしら。クレマンソーは、後にスポンサーになってくれるんですよね。
<あまりに身勝手な恋愛観> → 私の知り合いに「僕は芸術家だから、美しいものに触らずにいられない」という口説き文句を使う人がいて、なるほど~と感心しました。ロダンは、口説き文句は必要ない程もててましたね。
え~っ、yk2さん、ジェラシーだなんて、十分もててるじゃないですか。まだ足りないのかな?(笑)
moz
やっぱり、常人には図れない感性と独自の常識なんだなぁと。
「我々の愛を嫉妬で汚すな」とか「不出来な作品に自分の署名を入れる作家が
いるか」etc etc…、アーティストだから、ロダンだから許される言葉なんだろうなと。
この作品を見てから、西洋美術館に行くと、作品がまた違った風に見えるかもしれませんね。 ^^
TaekoLovesParis
私も西洋美術館が来春、開館したら、ロダン部屋の彫刻を、親しみを込めて眺めると思います。